前納さん実質サハ扱いですが、奇数向きの冷改クハはいたんですね。模型的にNGなのには変わらないようですが。ご教示ありがとうございました。 投稿日 2018年11月07日(水) 00時37分 投稿者 Mc103-139 [59-166-148-123.rev.home.ne.jp]
前納浩一@管理人さん、みなさん、おはようございます。早速の補足説明ありがとうございます。私自身が子供の頃に浦和電車区の近所に再住していた時の記憶から、京浜東北線中心の説明になっていました。当時は、山手線と京浜東北線のATC化準備関連で大量に新車が投入された時期でしたので、当然ながらそこから転用される先の事情があっての投入だったのですね。いろいろとありがとうございます。 投稿日 2018年11月06日(火) 08時54分 投稿者 はちまる [p2199094-ipngn9802souka.saitama.ocn.ne.jp]
はちまるさん、みなさん、こんばんは。偶数向きのクハ103だけ製造された例ですが、多少異なりますので補足させて下さい。まず、偶数向きクハだけを製造した、あるいは、偶数向きクハを多く製造した例には2パターンあります。まず1つは、青梅・五日市線に5両編成を投入するため、MM'×2〜3+Tc'として製造された例です。クハ103-446・448・722が該当します。この時は奇数向きの先頭車は全く製造されず、浦和区でMM'代用となっていたクモハ103-70・71のユニットと、横浜線のTcMM'TMcM'Tc'編成のMcM'2組とが新製MM'で捻出された非冷房MM'で差し替えられ、5両編成3本とMcM'MM'×1を組成しています。もう1つは、中央西線新性能化にあたって4両編成(2本)を投入する時に、TcMM'Tc'MM'Tc'と製造された例です。この場合は、奇数向きのクハ103が497、および499だったのに対し、偶数向きのクハ103が498と702、および704と706となりました。蒲田区においては、中間のクハを従来から所属しているサハに置き換えて7両の基本編成として使用しました。そのため、498と704がバラとなり、附属編成の大船方先頭車(8号車)に組み込まれて使用されています。このままでは奇数向き先頭車が2両足りませんが、先と同じ要領で横浜線のMcM'を活用し、編成となるようにしています。ちなみに、中央西線新性能化にあたっては、さらにMM'1組をMcM'に差し替え、神領電車区にバラのMcM'を配置させています。バラのMcM'など使い道が無いように思われるかも知れませんが、昭和60/1985年3月まで、電動車にのみ施行する「台車検査」という検査が存在したため、そのための予備車の意味合いがあったのだと思われます。それと、4両編成(2本)を投入するのに7両編成では1両足りませんが、これはサハ101-100・107をサハ103-766・767に改造して三鷹電車区に配置し、南武線新性能化の際に蒲田区から三鷹区へ転属するサハ103を2両減らして捻出しています。(神領区への転出が少し遅かったサハがあったと思います。)以上の2つの例で、豊田電車区と神領電車区には奇数向き先頭車が1両ずつ多く配置されたことになりますが、これは101系クハ改造車を、奇数向きの2050番代は2両、偶数向きの2000番代は4両とすることにより調節されています。昭和50/1975年前後に存在した横浜線のTcMM'TMcM'Tc'編成などについては、また改めて。 投稿日 2018年11月06日(火) 02時23分 投稿者 前納浩一 [203.138.5.178]
Mc103-139さん、みなさん、こんばんは。常磐線快速は、三河島事故の反省から、常磐無線と呼ばれる列車無線装置を付けた車両のみが先頭に立っていました。国鉄末期に多くの線区で防護無線が使用開始になりましたが、それを先行して使用していたというイメージで結構です。(アンテナ等は異なります)で、松戸電車区に最初に投入された、クモハ103-134〜155とクハ103-617〜638・1001〜1032は常磐無線を装備していましたが、その後に転入した先頭車(クモハ103-1など)は、1000番代との併結改造をされたクハ103-93・188を除き、常磐無線は取り付けないまま105系化されたり他線に転出しています。(ちなみに、リンク先の試作品の画像を見ると、常磐無線のアンテナが付いていますね。)で、奇数向きのクハ103の冷房改造車ですが、昭和53年に池袋電車区から転入したクハ103-139が、松戸区転入後に冷房改造されています。但し、先に書いた通り、常磐無線を取り付けていなかったので、先頭に立つことは無く、クハ103-138と向い合せにして、7号車に組み込まれて使用されていました。ですので、回送電車等を除き、先頭に立ったことはまず考えられず、それを「模型のセット」として発売するのでしたら、考証不足も甚だしいことになりますね。(まあ、実在しないクハ115形1100番代の冷房準備車を発売予定とした模型社もあるようですから、実在するだけマシなのかも知れませんがw)なお、クハ103-139と138は、昭和58年に津田沼電車区に転出となっています。ですので、松戸区在籍期間も5年半程度です。(冷房改造後ですともっと短いですね。)ちなみに、池袋から松戸への転属は、成田空港開業に伴うもので、「はちまる」さんがお書きになっているクハ103-461・463・726・728の池袋区への投入によって捻出され(実際には蒲田区からクハ103-403・404を借り入れて先行転出)、松戸区では京浜東北線からの転入車と松戸区本来の所属車と合わせ、暫くは三色混合編成となっていました。松戸から津田沼への転出は、昭和59年2月1日改正での山手線内回り増発に伴うもので、豊田電車区から201系投入〜103系南武線転出の際、3+7の7両編成を6両に短縮したため保留車となっていたサハ103-105・115を松戸に転入させ、クハ103-139・138を捻出して津田沼区に転出、さらにクハ103-811・818を捻出してATC化改造を行ない、池袋区に投入、という流れになっています。 投稿日 2018年11月05日(月) 22時38分 投稿者 前納浩一 [i153-145-21-226.s42.a013.ap.plala.or.jp]
前納浩一@管理人さん、赤羽線ユーザーさん、SR快速さん、みなさん、こんばんは。もしかしたらお初かもしれませんので、よろしくお願い致します。すでにご存じの方もいらっしゃいますが、改めてクハ103の3両飛び番についてわかる範囲内で書かせてください。昭和51〜52年に蒲田電車区へクハ103-446・448・498・704・716・720が投入され京浜東北線や横浜戦で使用されました。その関係で奇数向きのクハとのいわゆるズレが生じ始めますが、なぜかクハ103-465〜496まではズレなく浦和・下十条・池袋の各電車区へ投入されました。その後、欠番調整のために以下の組み合わせで4セット製造されました。クハ103-461・726と463・728が池袋電車区へクハ103-701・730と703・732が蒲田電車区へ昭和54年に蒲田・東神奈川両電車区へ品川電車区からクハ103-345・349・351・353が転入とクハ103-777が蒲田電車区へ新製投入。その補足として品川電車区へクハ103-783・785・787・789が新製投入されました。この時点でクハ103-499との兼ね合いで偶数がプラス1になりました。その後、大阪環状線向けにクハ103-800・806が新製投入されてプラス3となりました。また、相方は品川電車区から蒲田電車区へ転入していたクハ103-9・41が充当されました。ちなみに本来の相方のクハ103-10・42は仙石線へ転属となりました。以上、長文失礼いたしました。 投稿日 2018年11月05日(月) 22時25分 投稿者 はちまる [p2199094-ipngn9802souka.saitama.ocn.ne.jp]