無知ですよさん、みなさん、こんばんは。天王寺の事故に関しては、2回目の事故車が非冷房車だったため、復旧を見送ったのだと思います。もし修理しても、2年ほどで置き換えられるのは確実でしたので、わざわざ復旧させなかったのだと思います。もっと極端な例ですと、115系の赤穂線の踏切事故で、先頭の非冷房のクハ115-35よりも、2両目のモハ114-3506のほうが破損がひどかったのに、冷房でユニット相手もあるモハ114-3506は復旧、それほど破損の無かったクハ115-35はそのまま廃車という例があります。(時間がありましたら、「モハ114-3506 赤穂線」で検索すると破損状況がわかる写真が見つかります。) 投稿日 2021年09月05日(日) 01時12分 投稿者 前納浩一 [KD111239170215.au-net.ne.jp]
前納さんいつもながらご返答レスの程誠にどうも有り難う御座います心より感謝御礼申し上げ致します ・・・そうなんですか・・・過去に二回も生じてたのですか・・・ここは呪われているのかな・・・ それで肝心の結論ですが・・・同じような事故内容でも廃車にされたり復活できたりでまるで天国と地獄のような差ですね・・・ 一体どういう基準とか判断でこのような差異が生じるのだか・・・ 投稿日 2021年09月04日(土) 20時11分 投稿者 無知ですよ [91.149.203.12(修)]
無知ですよさん、みなさん、こんにちは。阪和線天王寺駅過走事故は2回あります。1回目は、昭和57/1982年1月29日で、先頭車の番号は不明ですが、低運のクハ103冷房改造車でした。この車両は復帰しています。また、この事故を機に、車止部に緩衝装置が設けられました。2回目は、平成元/1989年8月8月27日です。この時の先頭車はクハ103-2051で、事故後、破損した前面ガラスの交換などは行われたものの、非冷房車だったためか完全な修復はされず、営業運転に戻ることなく廃車となっています。 投稿日 2021年08月30日(月) 19時27分 投稿者 前納浩一 [i114-184-138-112.s42.a013.ap.plala.or.jp]
昔(昭和時代末期頃)確かJR西日本在来線の天王寺駅阪和線ホーム内でブレーキが利かずに車止めへと衝突事故を起こした普通か区間快速か快速列車の103系車両はその当時はその後一体どういう扱い・処遇になってたのでしょうか? そのまま即廃車か証拠物件差し押さえ警察押収保存かそれかその後完璧に修理して継続営業車使用してたのかな・・・ 投稿日 2021年08月26日(木) 23時25分 投稿者 無知ですよ [140-227-118-184.indigo.static.arena.ne.jp(修)]
配給電車が京都鉄道博物館で特別展示https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/615983 投稿日 2021年08月23日(月) 19時11分 投稿者 無知ですよ [61-219-53-23.HINET-IP.hinet.net(修)]