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[16094] 優等列車103系
そう言えば、紀勢線紀伊田辺発の快速103系は、途中で近郊型113系を追い越す運用があったのが印象的でした。

このほか、外房線にも103系が近郊型を追い越す運用がありましたね(茂原で追い越し)。

他にも103系が近郊型電車を追い越す運用があったのでしょうか? ご存知の方、ご教授くだされば幸いです。


投稿日 2006年12月02日(土) 23時47分 投稿者 Y.a [cache-tkp-ab01.proxy.aol.com]


[16093] 元・紀勢線乗り入れ103系は今・・・
阪和線用の103系は、平成6年から、
紀勢線の紀伊田辺へも乗り入れるようになりました。
この運用には、前面に白帯をまとった編成が限定運用されていました。
表向きの理由は、冷房化率の底上げだったようですが、
紀勢線の列車の中で、朝夕の通学時間帯の列車における、
高校通学客の乗車マナー是正策も背景だったのではと私は推察します。
この103系の紀勢線乗り入れですが、
いずれ関西圏だけの運用に戻る事に含みを残してか、
トイレ設備を取り付けずに運用についていましたが、
紀勢線沿線の利用者からの苦情が多く寄せられたため、
平成11年5月の改正で、
平日朝の海南発・天王寺行きの片道1本を残して、
すべて113系に置き換えられました。
それから8年・・・・
白帯をまとっていた103系の紀勢線乗り入れ編成の車両は、
ここ2年の間に、かなりの車両が廃車になりました。
321系導入による転配の過程で、この元・紀勢線乗り入れ車に、
さらに廃車が出たのでしょうか。

それから、岡山区貸し出しの103系ですが、
岡山正式配置の103系が消えかけた後、115系が使用されていた運用に就いているのでしょうか。
この103系は、特に高校や大学関連の通学客に占める割合が多い列車が絡む運用に使われているのでしょうか。
この岡山貸し出し103系は、2008年春頃の、
岡山駅在来線の構内改良工事が完了するまで使用されるのではという見方があるようですが・・・・




投稿日 2006年12月02日(土) 15時20分 投稿者 三都路快速 [138.145.210.220.dy.bbexcite.jp]


[16092] 今日の仙石線RT235
午前中に宮城野派出所まで行ってきました。
RT235は一番福田町駅寄りにパンタを下ろして留置されており、線路南側の道路から撮影可能です。
既に報告されているとおり、台車と一部床下機器がグレーに塗装されていますが、大半の床下機器は汚れたままであり、何となく落ち着かない感じがします。
字幕は「回送」表示でした。
郡山から到着後、既に本線走行は行ったのでしょうか?


投稿日 2006年12月02日(土) 14時31分 投稿者 汐見台急行 [p3114-ipbf301aobadori.miyagi.ocn.ne.jp]


[16091] 奈良区編成替
みなさん、こんばんは。
奈良区6連の編成が組み換えされました。
Tc184がTc836に入れ替わり、
Tc68+M509+M’665+M510+M’666+Tc836
*Tc68以外は体質改善車で統一されています。

一方のTc184は未確認ですが、単純に組み替えであれば、
Tc185+M524+M’680+M525+M’681+Tc184
となり、63−3改正以来約22年ぶりにTc185・184が編成の前後を固めることになります。

しかしながら、計画変更によりこの編成は短期間になると思われます。
奈良区4連で残るか、他区へ転属するかどちらかです・・・。


投稿日 2006年12月01日(金) 20時54分 投稿者 やまとじライダー1号 [dsl053-230.kcn.ne.jp]


[16090] E233系12月26日より営業運転開始
前納様、皆様、こんばんは。

昨日は大変失礼いたしました。決して前納様が書き込みされたバラ予備3両の転用計画に対する解釈を否定するつもりはありませんでしたが、誤解を招く書き込みをしましたことを前納様や書き込みをご覧になられて気分を悪くされた方に対して深くお詫び申し上げます。

お書きになられた通りサハ103−216は88年10月14日付けで蒲田区から浦和区へ転属しています。ですので時期から考えて私も前納様がおっしゃるその1両に同車が相当するのではないかと思います。

話は変わりますが、中央快速線のE233系が12月26日の528Hから営業運転を開始すると本日JR東日本八王子支社より発表がありました。詳しくはJR東日本八王子支社のホームページをご覧ください。

以上、失礼しました。


投稿日 2006年12月01日(金) 19時24分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp]


[16089] Re:初期の武蔵野線の103系
KIHAさん、三河安城さん、みなさん、こんばんは。

武蔵野線にl03系が入ったのは昭和55年(1980年)10月のダイヤ改正での増発の時です。この時の車輌は転用車ではなく、最初から武蔵野線用として作られた新車です。クハl03-8l5〜の6連です。
2年後の昭和57年11月15日改正でさらに増発を行なうことになり、この時は中央快速線から6輌が転用されました。クハl03-8l3〜の6連です。この時余剰となった4輌は、やはり青梅線の増結の関係で余剰となった4輌ともども南武線に転用され、中間車ばかりなので、20l系投入により先に南武線に転用されていたクモハ入り編成の3+3編成と組み替え、l0l系の置き換えに使用されています。
さらにサハ2輌が半端になりますが、それについては、203系第2〜8編成を投入した時の松戸区車の転用の際に、モハ2輌と差し替えられています。

>三河安城さん
あくまで「JRの方の記事に基づいて組み立てると」という形です。実際の車輌の動向が異なる例は、良くありますよね。
丁度この頃、武蔵野線増発用として南武線に205系が入りましたが、南武線のl03系が武蔵野線に行くのではなく、横浜線のl03系が南武線に行かずに武蔵野線に行った形でしたよね。それと同様なのだと思います。
浦和区のサハ関係ですが、蒲田から浦和に2l6が移動していたと思います。これがそのバラ予備の3輌に併せる1輌に相当するのではないかと考えています。


投稿日 2006年11月30日(木) 21時54分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[16088] 初期の武蔵野線の103系
たしか武蔵野線に103系が入ったのは80年代前半だったかと思います。
このときは中央線からの転属車両で非ATC車の編成でありました。中央線の103系が消滅する1年位前にはさらにもう1編成加わり、2本体制になりました。
昭和59年には総武からの103系がリースされ,このときは試作冷房の先頭車だったので鮮烈に覚えております。つづいてエメラルド編成(モハユニットは除く)が転属してきました。その後何本かが増発目的で入りました。
ここで気になるのは中央線からの転属車両の余剰車の動向とエメラルド編成がその後どうなったかです。


投稿日 2006年11月30日(木) 21時25分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]


[16087] Re:浦和区のバラ予備3両
前納様、皆様、こんばんは。昨日お書きになられたモハ103−548、モハ102−704の松戸区から豊田区への転属及び関連する事項について調べてみました。

89年2月の豊田区転入時にこのモハユニットと4両の編成を組んでいた先頭車はクハ103−441・404で浦和区からではなく横浜線への205系の投入に伴い蒲田区から転入しています。浦和区から豊田区へのクハ103ATC車の転属は同年秋以降に埼京線への205系の投入に伴い川越区から浦和区へ転入したクハ103−399・400・725・727・738・740に差し替えられて転出したクハ103−322・324・329・331・407・426の6両が最初と思われ、蒲田区から豊田区へも青梅・五日市線4両編成への転用はこの2両のみのようです。

一方、89年2月に蒲田区から松戸区へはサハ103−43・44の2両が転属していますが、この2両も昨日書き込みしたマト9編成に組み込まれて差し替えられたサハ103−86・100の2両が廃車されています。また、この前の88年8月から10月にかけてモハ103・102から改造されたサハ103−800番台が松戸区に6両配置されています。このサハ103−800番台6両は1000番台編成3本に2両ずつ組み込まれてマト11[801・804]・13?[802・803]・10[805・806]編成のモハ103・102−1004・1013?・1064を抜き出してそれぞれ他の編成のモハユニットと差し替えてモハ103−548、モハ102−704が豊田区・モハ103−576、モハ102−732が浦和区へ転出、モハ103・102−11が廃車となっています。

しかし、当時の「鉄道ファン」89年3月号の京葉線新木場ー南船橋・千葉みなとー蘇我間延長開業に関する記事の中でこれに伴う車両の転用計画について蒲田区から松戸区へサハ103が2両、松戸区より浦和区へモハユニットが差し替えという形で転用されており、この事からサハ103−43・44[89年2月転入]とモハ103−576、モハ102−732[88年11月転出]は本来はこの名目で転属したということになります。この間の車両不足の補充や検査周期、冷房改造・車両更新工事等の改造工場への回送の手配といった電車区内全体での様々な事情により老朽103系取り替え用で転入したサハ103−800番台6両[本来はモハ103・102−11・49、サハ103−86・100の廃車補充用?]やモハ103−548、モハ102−704の捻出用で転入した?[前納様がお書きになられた「鉄道ピクトリアル」97年10月号の記事内の表からそのように推測される]サハ103−91・113を巻き込んだ複雑な編成替えがこの時期に集中して行われたものと推測されます。

以前にも書き込みしました通りこの頃は転用計画と実際の車両の動きが異なる事例がいくつか存在していましたが、以上の事からこの事例もそのうちの一つではないかと思われます。しかし、一昨日に永尾様がお書きになられた通り編成替えについては外部の者が知らない様々な事情があるようで永尾様がおっしゃる通り外部の者が総てを把握するのはやはり非常に難しいものがあります。

以上、失礼しました。


投稿日 2006年11月30日(木) 21時05分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp]


[16086] 東葉高速
1000系は、3日に運用離脱するようです。下の投稿は、書き間違えました。


投稿日 2006年11月30日(木) 21時02分 投稿者 103系 まん [p2109-ipbf1109marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp]


[16085] 東葉高速鉄道
くにさんみなさんこんばんは。東葉高速の、1000系は12日になくなるそうですね。詳しくはわからないのですが。


投稿日 2006年11月30日(木) 21時01分 投稿者 103系 まん [p2109-ipbf1109marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp]


[16084] 東葉高速鉄道
みなさんお久しぶりです!!よくわからないのですが東葉高速鉄道の1000系がなくなるそうですね。
JR以外のネタですみません・・・



投稿日 2006年11月30日(木) 16時05分 投稿者 くに [L042168.ppp.dion.ne.jp]


[16083] 浦和区のバラ予備3輌
三河安城さん、みなさん、こんばんは。

浦和区の予備車に関する詳細な解説、ありがとうございます。ただ、バラ予備車の最後の3輌(TcTTc')の転用方ですが、JRの方が鉄道ピクトリアル1997年10月号に書かれた記事の表から推察しまして、昭和63年12月改正にて、中央線快速増強用で横浜線の7輌編成を武蔵野線に転用する際に余るT1輌と合わせて計4輌とし、お書きのように松戸区のl000台8M2T編成と差し替え、M548M'704を捻出して4連1本を組成、青梅線の朝の4連1本を8連に増結させる輸送力増強に回されたように解釈しています。


投稿日 2006年11月29日(水) 22時10分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[16082] レスです。
みなさん、こんばんは。

>芝生さん
南武線新性能化で京浜3区から転入した103系大変懐かしいお話をして下さり、「03A」などの表示が昨日のように思い出されます。また、103系マニアにとっては、貴重なお写真を公開して下さり、懐かしい思い出にひたりながら拝見させていただいております。

>前納さん
横レスになってすみませんが、当方も92年に西九条で偶然、ウグイスになった同車を見ただけで、恐らく片町線で同編成のウグイスは走っていなかったと思われます。

>永尾さん
武蔵野線でウグイスが目撃できたのは、60−3改正時同線増発用として、山手線への205系第1陣投入による捻出の中間車2本と61−3だったと思われますが、当方が先般カキコしたクハ103−113・114と141・140(以上カナリア)と中間は、47年度車の第1次量産冷房車のウグイスとの「混色」編成が存在しておりました。

>三河安城さん
大変複雑な動きを分かりやすく解説して下さり、本日も書かれた動きを編成表を片手に動きを追ってみます。


投稿日 2006年11月29日(水) 21時51分 投稿者 林 俊宏 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[16081] 86年3月改正での京浜東北線からの捻出車
芝生様、KIHA様、林様、皆様、こんばんは。

・芝生様

私の書き込みに対するお返事ありがとうございます。いつも一方的に頼ってばかりなのに対してありがたきお言葉をいただきまして大変恐縮しております。

・KIHA様

豊田区の中央快速線用103系の10両貫通編成で80年に落成した最終投入分5本の先頭車10両[クハ103−811・813・817−821・824・826・828]は乗務員室内のナンバープレート上の前照灯点検蓋に貼られた「冷房編成のため 青梅線には入れません」のステッカーがクハ103−821・828を除く8両は廃車されるまでずっと貼られたままで、クハ103−821・828も広島所配置の現在のことは知りませんが武蔵野線時代はやはり貼られたままでした。
青梅線へ乗り入れ不可だった理由は当時の変電所容量が不足していたためだそうで、ステッカーは貼られていませんでしたが201系も82年11月のダイヤ改正までは青梅線に入線不可となっていました。

・林様

いいえ、どういたしまして。86年3月の京葉線部分開業時の車両転配は実際には若干複雑に行われれています。詳細は10月7日の私の書き込みをご覧ください。また、埼京線へは京浜東北線からも少数が転入しています。[後述]そして津田沼区のウグイス色のクハ103はお書きになられた池袋区から転入のクハ103−289・290・291・292の4両の他に蒲田区からクハ103−763・780の2両が転入して代わりにクハ103−48・61も豊田区[青梅・五日市線]へ転出しています。

86年3月のダイヤ改正では電車区の統廃合が行われて予備車の見直しと併せて豊田区から18両、京浜東北線[浦和・下十条・蒲田区]から26両の103系が捻出されました。このうち豊田区から捻出の18両の転用については以前に書き込みがありましたが京浜東北線から捻出の26両の転用についてはこれまでに一括して書き込みされていなかったと思われますので本日はこの捻出車26両の転用について書き込みしたいと思います。

86年3月のダイヤ改正まで京浜東北線には10両編成が浦和区32本、下十条区23本、蒲田区29本の合計84本とそれぞれの区にバラ予備のクハ103が2両ずつ配置されていましたが改正後は浦和区に10両編成82本の配置となったため10両編成2本とクハ103が6両の合計26両が捻出されました。

蒲田区のバラ予備だったクハ103−403・404の2両はウグイス色に塗色変更のうえ蒲田区に残留して横浜線の編成に組み込まれて編成替えによって捻出された上記のクハ103−763・780が津田沼区へ転出しています。下十条区のバラ予備だったクハ103−475・476は一旦浦和区へ転入した後11月のダイヤ改正に伴う横浜線増発用として蒲田区へ転出しています。浦和区のバラ予備のクハ103は下十条区より転入したクハ103−399・400と差し替えてこの2両は埼京線のバラ予備のクハ103の確保用に川越区へ転出しています。また、川越区へは10両編成1本[Tc381、M373、M’529、T157、M179、M’334、T158、M374、M’530、Tc382]がそのままハエ24編成として転用されています。[埼京線増発用?]

そして、残りの10両編成1本は編成替え等を行った末クハ103−401・402、モハ103−46・132・183、モハ102−46・241・338、サハ103−293・309の10両が捻出され、上記の横浜線増発用としてこのうちモハ103・102−46は先述のクハ103−475・476と共に蒲田区へ、サハ103−293は松戸区へ転出しています。[松戸区へは池袋区から中原区へ転入したもののバラ予備となっていたサハ103−359を再度転用してこの2両を1000番台のマト12編成に組み込んで捻出したモハ103・102−1005をマト1編成のモハ103−317、モハ102−473と差し替えて蒲田区へ転用しています。]

残りの7両は転用されずにバラ予備として浦和区に残留しましたが、JR化後に88年3月のダイヤ改正での武蔵野線増発用としてモハ103−183、モハ102−338はサハ103−479[この時に山手区より転入]と共にウラ45編成へ、モハ103−132、モハ102−241はサハ103−478[同]と共にウラ72編成へそれぞれ組み込まれて差し替えにより捻出したクモハ103−100、モハ102−224、クハ103−577とクモハ103−94、モハ102−215、クハ103−580の6両を豊田区へ転用、そして一昨日に書き込みした通りクハ103−401・402が88年10月頃から廃車予定のサハ103−94・97の代わりにウラ8編成の中間に組み込まれ、最後に残ったサハ103−309も89年2月に松戸区へ転出したサハ103−113の代わりにウラ7編成に組み込まれて、この時点で冷房改造や車両更新工事の予備車・廃車予定車を除いて浦和区のバラ予備の車両は消滅しています。なお、松戸区へ転出したサハ103−113は一緒に転出したサハ103−91と共に1000番台のマト17編成に組み込まれてモハ103・102−1040を抜き出してこの2両をマト9編成のモハ103・102−49と差し替えてこの2両が廃車となっています。

以上、本日も長文失礼しました。


投稿日 2006年11月29日(水) 21時21分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp(修)]


[16080] 向かい合わせの冷改TC
みなさまよく京浜東北線での向かい合わせのATC付TCの話がよく出ますが,実は平成3年ごろのことだったのですが、初期型の冷改TCが向かい合わせだった編成が1編成存在しました。
確かウラ40編成だったかと思われます。肝心の車両はトタからの転属で48・61の2両で,実質里帰りに近い状態での転属でありました。同車は総武時代に71・611とトレードしてからトタに転属してからも同じ編成の両端で活躍していたので非常に印象に残っております。



投稿日 2006年11月29日(水) 20時45分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]


[16079] 黄緑色の片町線
永尾さん、みなさん、こんばんは。

淀川区のTc83l〜838の編成が転出前に黄緑色になりましたが、桜島線しか走っていなかったですかね。

武蔵野線ですが、山手線の高運の先頭車が転入したのはJR化後の63−3改正(林さんが書いていた、横浜線や埼京線などへの205系の投入より前)からですので、全車塗り替えてからの転入です。ですので、武蔵野線では黄緑色の先頭車が運用されたことはありません。また、他の色を含め、色違いの高運クハが運用されたこともありません。


投稿日 2006年11月29日(水) 19時52分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[16078] 三鷹103系分割編成の事など
皆さん今日は

三河安城さん
 いつも詳しい書込みを拝見し、往時を偲んでいます。弊サイトを参考にしていただけるのはありがたいことです。

KIHAさん
 表題の三鷹から豊田に移った3+7の分割編成8本80両は、三鷹在籍時点で全車冷改されており、豊田区運用中にご覧になったとすれば、車両故障なり何らかのトラブルでやむなく、青梅線用の偶数向き非冷房Tc車を使っていたのではないでしょうか。


投稿日 2006年11月29日(水) 16時32分 投稿者 芝生將行 [p4022-ipbf502souka.saitama.ocn.ne.jp]


[16077] 無題
前納さん、みなさん、こんにちは。

それより、
>>側面方向幕(府中本町・片町・大阪環状線特別快速 高尾)

ですね(笑)
黄緑色の片町線(見たこと無いぞ)、黄緑色の大阪環状線(確かに今はあるな)、黄緑色の特別快速高尾(これもあちょっとないやろ)、黄緑色の府中本町(ん?あったっけ?先頭車で)
山手線はどこいってん!!!プンプン


投稿日 2006年11月29日(水) 15時37分 投稿者 永尾信幸 [p1007-ipad72osakakita.osaka.ocn.ne.jp]


[16076] Re:天賞堂HO
飯田橋博士さん、みなさん、こんにちは。

情報ありがとうございます。天賞堂の楽天市場店を見てみたのですが、低運の商品に高運の画像が混在しています。大丈夫でしょうか。
ヤフオクで同じようなミスをしていたら、「正しい商品を送ってもらえるかどうか疑問だ」と誰も相手にしてくれないところです。


投稿日 2006年11月29日(水) 13時40分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[16075] 広島・岡山地区の車両置き換えのメドはないのか?
広島・岡山地区の山陽線で現在走っている車両は、
国鉄形ばかりで、221系を転用する計画すらありません。
後継車種への置き換えのメドはまったく立っていません。
広島地区の山陽線での車両置き換えが凍結されてきた、
その背景には、元来から広島・岡山支社管内各線の経営環境が厳しいのに加えて、
広島空港アクセス新線の建設問題の決着が長引いた事も要因のようです。
空港アクセス新線の建設の行方が定まらない状況で、
221系に置き換えてもメリットがないという判断だったからなのでしょう。
広島・岡山地区配置の103系や115系の中には、建造から40年を経過した車両もあります。
JR広島支社は、この車両をあと5年程度、つまり最大45年以上まで使い続けるつもりなのかと、
いぶかりたくなります。
広島空港アクセス新線計画が白紙に戻ったのを機会に、
そろそろ221系や205系の転用や譲受による車両置き換えが考えられてしかるべきなのですが、
広島・岡山支社管内の乗務員区では、221系の配置を前提とした、
岡山、広島、山口地区の山陽線での221系の乗務員訓練が行われるなんて話も聞きません。
広島・岡山地区の山陽線へのATS−P形の導入計画が具体化するのは、
早くても2年先だといわれます。
ちょっと気がかりです。

ところで、103系が消えかけていた岡山地区の山陽線などで、
103系が、日根野電車区からの貸し出しという形で再び運用されていますが、
岡山地区では、103系を使用していた列車が115系に置き換わった途端に、
列車の遅延が表面化したため、緊急措置で103系を導入したのが真相なのでしょうか。
折しも、岡山駅で在来線ホームや構内の改良工事がたけなわで、
ホームの一部の一時閉鎖が行われている事もあり、
ダイヤも3か月周期で変わっています。
岡山駅改良工事中のラッシュ輸送対策も、103系再導入の背景かも知れないのですが・・・・







投稿日 2006年11月29日(水) 13時30分 投稿者 三都路快速 [p1197-ipad208niho.hiroshima.ocn.ne.jp]


[16074] 先日のレスのレス&東日本205系が西日本へ?
先日は申し訳ありませんでした。
先日のレスのレスになりますが、

「EBボタン」は、緊急措置としての設置のようで、
2年以内をメドにすべての運転台に取り付けるとの事ですが、
古い車両に取り付けても、費用対効果があまりないのではと思うのですが・・・・
古い電車に「EBボタン」を取り付けても、車両の延命にはつながらないのではと思います。

延命N40工事車の廃車ですが、サハばかりが廃車になっているようで、
クモハ、モハでは廃車が出ていないようですね。
サハ102形については、今年度中には廃形式になるのではとの噂がささやかれているようです。

ところで、JR東日本は、中央線の201系の新系列車への置き換えに着手していますが、
京葉線に、連接編成の新系列車を導入する計画で、
これは現在試作編成1編成だけですが、来年以降量産されるのではといわれています。
そうなると、205系をJR西日本へ大量譲渡するのではという噂が、
これから先、出そうな気がするのですが・・・・
もし仮に、205系が譲渡されれば、その車両は、
阪和、関西、奈良線や広島地区あたりで使用されるのではと、私は思いますが・・・




投稿日 2006年11月29日(水) 13時01分 投稿者 三都路快速 [p1197-ipad208niho.hiroshima.ocn.ne.jp]


[16073] レスです。
KIHAさん、みなさん、こんばんは。

>KIHAさん
中央快速線の103系は、武蔵野線開業用名目で103系7本(具体的には新製66両とサハ101から同103への改造4両)が昭和47年度末に同47年度民有予算で投入されています。このときに同線に103系が初入線したのですが、先頭の車号は、クハ103−213・214・217・218・219・220・221・231・232・235・236・237・238でした。そして、その後に関西線電化名目で、昭和48年民有で同年夏に1本増備され、合計8本体制になりました。

そして、このまま推移するかと思いきや、本線緩行の高槻区の旧型置き換えが昭和48年度下期に行われ、昭和48年度第3次民有予算で高槻に77両の冷房車(先頭車は首都圏へ投入)が投入されることになりましたが、昭和48年度末はまだ103系の冷房改造が施工されれておらず、首都圏のATC化促進もあり、クハ低運の第1次量産冷房車が山手線からは全て高槻転属となり、これでも数が不足していたため、中央線の103系に白羽の矢が立ち、ATCの予定のなかった中央快速線のATC準備車のクハ103−311〜316を投入し、この投入で差し替えられた、クハ103−219・220・221・222・237・238は高槻に転属となりました。


投稿日 2006年11月29日(水) 03時30分 投稿者 林 俊宏 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]


[16072] 天賞堂HO
みなさま、こんばんは。

天賞堂公式HPによるとHO103系ウグイス色が発売された模様です。

急行なにわ様。

浅草キッドのパクリを、もう一駅分パクリました。とはいえ、
当時飯田橋在住でしたからわかる人にはわかるギャグなのです。


投稿日 2006年11月28日(火) 23時46分 投稿者 飯田橋博士 [124x39x30x53.ap124.ftth.ucom.ne.jp]


[16071] 首都圏各線へ進出したクハ103ATC
みなさん、こんばんは。

昭和60年度に山手線へ大量の205系が投入されましたが、同系の投入で山手線から103系が埼京線と京葉線の千葉みなと〜西船橋間部分開業用として転出しましたが、埼京線へは山手線品川から主に転属していたと記憶しておりますが、京葉線へは、山手線から京浜東北線へ10連貫通を転出、そして、蒲田からMcTc低運車を含む京浜東北線用の他横浜線用の車両も津田沼へ転出していたという流れだったと思われますが、この時に初めてATCを降ろして転属していたのが特筆されます。

その後は、総武緩行線に京葉線と同様にウグイス色のTcATC車(車警はB・BS)が転属してきて、武蔵野線増発用として低運のTc113・114・140・141がカナリアのまま転出し、この頃からATCを降ろして転属し始めました。個人的な見解ですが、ATC機器は流用されたようですが、改造して積んだのですから、少々勿体無い感を抱きました。

そして、JRになってからは、87年12月から常磐快速線へエメグリになって京浜東北線から転入、さらには、横浜線や埼京線へ続々と205系が進出し、捻出されたATCのクハは武蔵野線増発や南武線などでも見られるようになり、首都圏各線で目撃できるようになり、ATC関連の線区以外でも珍しい存在ではなくなりましたね。

また、末筆ながら三河安城さん、いつもご丁寧に有難うございます。


投稿日 2006年11月28日(火) 21時28分 投稿者 林 俊宏 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[16070] 中央快速線の103系
たしか201系が導入され始めたころかと思われます。
西トタでは81年ごろ西ミツから103系が80両転属し、すべてが分割編成で冷房車であったはずですが(サハ101改造の750番代含む)、一時期だったことかもしれませんが1編成だけ非冷房のクハが3両目に組み込まれていた編成がありました。その編成の詳細は不明ですが2回確認しました。
西トタの103系固定編成には青梅線に乗り入れ不可のステッカーが貼ってありましたが分割編成は転属後も乗り入れ可能のステッカーが残されており、西ナハに転属直後もしばらく残っていましたが固定編成のほうは晩年にはがされたようですが。現在では201系に統一され、そういう制約はなくなったのですがなぜあったのでしょうか。
固定編成では201系試作車が導入されたころ、ATC先頭車が非冷房初期車とトレードされて先頭車だけ非冷房という編成がいくつか存在しました。先頭車だけ見たら一瞬101系かとも思ったりもしましたが・・・
そういえばクハ103−221の編成が在籍していたことがあると某雑誌に記載されていましたが総武へ転属した形跡もないようなのでおそらくこのときに同時に転属したのではないかと思われるのですがともかく今なお気がかりです。



投稿日 2006年11月28日(火) 21時27分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]