ご投稿のKATOの103系の件ですがこれは確か2代目くらいの製品化かと思います。詳細はRM−MODELS 72巻以降に「新・鉄道模型考古学」があり、そちらで詳細に記載されています。肝心の黒文字のスカイブルー塗装車は現在の製品に比べてかなり薄い感じがします。初期の製品はすべて無表記だったようですが・・・ 投稿日 2006年12月09日(土) 00時27分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]
前納さん、みなさん、こんばんは。>前納さんご教示いただき有難うございました。 投稿日 2006年12月08日(金) 19時11分 投稿者 はんわライナー7号 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp]
はんわライナー7号さん、みなさん、こんばんは。高槻→淀川の分は、59-2改正の福知山線減車で余剰になったユニットを組み込むことにより6連になっています。61-11改正でも福知山線に残っていたバラ予備MM'が淀川に転属していますが、淀川のモハl03-426のユニットを豊田に回して武蔵野線の増発に充てていますので、4連の6連化ではありません。61-3改正の豊田→神領の8輌は、輸送力増強に伴うものと思います。その際にバラ予備2輌を活用したわけです。昭和60年に台車検査が廃止になっていますので、電動車の予備車の必要性が下がったのが大きいかと思います。 投稿日 2006年12月08日(金) 18時53分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
みなさん、こんばんは。83−1の鉄ファンで大熊氏が書かれた記事を拝見しておりますと、高槻・神領・浦和・蒲田などに「バラ」と記載されておりますが、上記の高槻のは淀川に4連で転じて、61−11ダイヤ改正時に、宮原からの1ユニットにより、また、前後しますが、神領のは、61−3ダイヤ改正時に豊田から7両転じたと思われますが、これらの転入によって編成事になったようですが、このバラ予備から編成事の予備車に変更になったいきさつが不明な部分がありますので、この点ご教示願えれば幸いです。 投稿日 2006年12月08日(金) 17時50分 投稿者 はんわライナー7号 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]
三河安城さん、みなさん、こんにちは。Nゲージですと、KATOの初期形の30年以上前のスカイブルー車が、全車「黒文字ナンバー」で生産されていました。 投稿日 2006年12月08日(金) 15時40分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
スコッチ様、皆様、こんにちは。私も20年ほど前の小・中学生時代にNゲージのTOMIX103系ATC車を当時発売されていた4色で10両編成を各1本ずつ揃えようと思ったものの、結局ウグイス色とスカイブルー色の2本しか揃えることができませんでした。やはり模型とはいえ10両編成を数本揃えるというのはなかなか難しいと思います。そして、その時の忘れられない思い出話を一つ書き込みします。私はウグイス色・スカイブルー色どちらもバラで10両ずつ購入して揃えましたが、購入したモーター付き1両、モーター無し2両のモハ103でウグイス色のナンバーが[どちらもモハ103−720]モーター付きは正規の黒文字だったのに対し、モーター無しは2両共何と白文字で表記されていました。[しかも私自身自宅へ遊びに来た友人が見つけて指摘するまで全然気が付きませんでした。]後日購入した模型店へ持っていって店主さんに見せると「もし不満なら正規の黒ナンバーの製品と交換するけどそれにしてもこれは本当に珍しいねえ。」と驚いていました。結局「珍しい」ので正規品とは交換せず2両共そのままで走らせましたが、後にTOMIX社から「製品回収のお知らせ」の告知が出された記憶はなかったので恐らく大量に市場には出回らなかったと思われ、この「ウグイス色で白ナンバーのモハ103−720」は非常に希少なものだったと思われます。それから20年が経ち、この2両ももう手元にはありませんが本当にとても不思議な存在だったと今でも思っています。以上、失礼しました。 投稿日 2006年12月08日(金) 15時28分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp(修)]
みなさん、おはようございます。天プラの黄緑のメーカーウェブ中の説明で、添付されてる方向幕に片町線のがあると言う事で、片町線で黄緑など見たこと無いと書きましたが、片町線の101系を冷改する時に鳳から1本黄緑色の101系を借り受けたみたいです。そんな事で、黄緑色の片町線があったようです。すいません。 投稿日 2006年12月08日(金) 08時43分 投稿者 永尾信幸 [p1250-ipad413osakakita.osaka.ocn.ne.jp]
スコッチさん、みなさん、こんばんは。>スコッチさんいつもご丁寧に返信下さり、有難うございます。また、大変水を差すようですみませんが、私は実車主義で103系を長年追いかけましたが、模型に関しましては、全くの素人でこのように申し上げるのも心苦しいのですが、この点に関しましては、お力になれずにすみません。 投稿日 2006年12月08日(金) 00時26分 投稿者 林 俊宏 [i58-93-49-95.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]
林さん、三河安城さんこんにちは。いろいろな情報ありがとうございました。私はTOMIXのNゲージで103系10連再現している最中なのですが、なかなか10連揃えるのって難しいですよね…。基本セットは4両なのですが、増結の2両セットがなかなか店にないです。カナリア、スカイブルー、オレンジは10連化完了ですが、ウグイスはモハ1ユニット不足で、エメラルドグリーンはまだゼロです。関東の中古の模型店などで売っていますでしょうか? 投稿日 2006年12月07日(木) 15時46分 投稿者 スコッチ [p1014-ipad05kyoto.kyoto.ocn.ne.jp]
前納様、KIHA様、皆様、こんにちは。・前納様私の書き込みに対するお返事と寛大なお心遣いありがとうございました。こちらこそよろしくお願いいたします。・KIHA様お書きになられた通り、86年3月に豊田区から浦和区へモハ103・102−4、サハ103−103と浦和区から豊田区へクモハ103−79、モハ102−171、クハ103−527の各3両が差し替えという形で移動して4月1日付けでクモハ103−39・40・79、モハ102−131・133・191、クハ103−527・585の8両が豊田区から奈良区へ転属しています。そして3月25日付けでクハ100−92から吹田工場で改造されたクハ103−2001と前納様がお書きになられた日根野区から奈良区へ転入したクモハ103−47、モハ102−143、クハ103−538の3両の合計12両で6両編成2本を組んで福知山線用113系800番台への改造車捻出のため奈良区113系の代わりに11月のダイヤ改正までラッシュ時の快速運用に入りました。91年4月に浦和区から京葉区へ附属編成の車両更新工事施工に伴う予備車として転入したクモハ103−76・83など6両を含む4両編成2本[サハ103については習志野区から161・269が転入して他編成に組み込んで捻出した91・103を組み込み]は前納様がお書きになられた通り6両の基本編成の中間に組み込まれて先頭には出ませんでしたが、それぞれ「215」[Mc76、M’185、T91、Tc556]・「216」[Mc83、M’198、T103、Tc568]の編成番号が付けられ、先頭車にも編成番号札が掲出されていました。当時の「JR電車編成表」の京葉区のページの中にも「215・216編成は先頭には出ない」という注釈があった記憶があります。以上、失礼しました。 投稿日 2006年12月07日(木) 15時21分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp(修)]
皆さんこんばんは関空快速用の新しい223系5両が吹田工場に留置されています。とりあえず報告だけします。 投稿日 2006年12月06日(水) 22時27分 投稿者 阪和線の通勤人 [softbank218121188151.bbtec.net]
KIHAさん、三河安城さん、みなさん、こんばんは。Mc47は日根野から奈良への転属ですから、豊田には行っていないと思いますよ。また、Mc79も転属前提ですから運用には入っていなかったと思います。松戸のMc8lは冷房改造もされましたし、置き換えは早かったですが、しっかり運用されていました。京葉のMc76・83ですが、ATS-Pも列車無線も無く先頭に立てないため、間違って分割することの無いよう、6連の真ん中に4連を挟んだ、TcMM'+McM'TTc'+MM'Tc'という変則編成で運用されていました。>三河安城さん詳細なレス、ありがとうございます。この前のことは全く問題ありませんので、お気になさらないで下さい。また追って御返信させていただきます。よろしくお願いいたします。 投稿日 2006年12月06日(水) 21時22分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
たしか昭和61年度になってからのことかと思いますがトタの103系4両固定編成のうち、両端クハ編成のうちの中のモハ103/102−4がウラへ、11が松戸へそれぞれ転属しました。ちょうどそのころ入れ替わりかどうかはわかりませんがMC47および79ユニットとTC1両(車番不明)がトタに転属してきましたがすぐに既存のMCユニット数編成とともに奈良へ転属、しばらくしてからTC53も日根野へ転属しました。わずかな間だったことかも知れないのですがMC47および79のユニット編成はトタで活躍していたのを見かけたことはありません。そして平成に入ってからはウラからケヨへMC76および83ユニット,松戸へ81ユニットが転属したようですがこれもやはりたまたまだったのか転属先で見かけたことはありませんでした。、 投稿日 2006年12月06日(水) 21時15分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]
前納様、KIHA様、皆様、こんにちは。今回も細かい指摘で大変恐縮ですが、この88年2・3月に中原・川越区より松戸区へ転入したMc116、M’253、T774、T19、M5、M’5、T20、M226、M’381、Tc587の非冷房車10両編成は冷房改造・車両更新工事の予備編成ではなく附属編成の予備編成確保のためによる転入です。[川越区からの捻出分は山手区からモハ103−101、モハ102−159、サハ103−306・307を川越区へ転出させて差し替えて確保]87年11月から88年2月にかけて常磐快速線の平日朝・夕方ラッシュ時の15両編成化に伴い浦和区から松戸区へ附属編成用として50両の103系が転入しましたが、予備編成確保のためこの50両は5両編成10本ではなく5両編成8本・4両編成1本・3両編成2本で転入させて、このうちの4両編成1本と3両編成2本を10両の基本編成1本[マト19編成のTc1027、MM’1053、T293、MM’1055、T359、MM’1056、Tc1028]と組み合わせて5両編成4本として予備編成を含めて合計12本の附属編成が88年3月のダイヤ改正までに用意されました。そしてこの基本編成の補充用として上記の非冷房車10両編成が中原・川越区より松戸区へ転入してクハ103−1027以下10両編成の代わりにマト19編成となりました。そして翌89年にクモハ103−116、モハ103−226、モハ102−253・381、クハ103−587の5両はほりぽん様がお書きになられた通り中原区へ転出、モハ103・102−5、サハ103−19・20・774の5両は廃車となり、代わりに川越区から6両・三鷹区から4両の103系が転入して89年9月頃よりこの10両で新たなマト19編成が組成されています。[Tc733、M172、M’327、T94、M68、M’68、T97、M348、M’504、Tc746]一方、以前書き込みしましたが冷房改造・車両更新工事の予備編成については基本編成が88年4月に山手[クハ・モハ]・浦和[サハ]区からTc487、M616、M’772、T86、M49、M’49、T100、M617、M’773、Tc488の10両編成1本が転入して1年ほどマト20編成として使用された後、89年3月頃に編成番号をマト9へ変更[そして先週書き込みした通り中間のモハ103・102−49、サハ103−86・100の4両がモハ103・102−1040、サハ103−43・44にこの時点で差し替えられています。]、元マト9編成だったTc188、MM’1057、MM’1058、MM’1060、MM’1061、Tc627の10両編成の編成番号をマト15へ変更、そして捻出された元マト15編成のTc1009、MM’1032、MM’1033、MM’1034、MM’1036、Tc1010の10両編成が車両更新工事施工後、営団地下鉄東西線乗り入れ用103系1200番台・301系の冷房改造・車両更新工事の予備編成用として三鷹区へ転出しています。附属編成の入場予備編成は88年12月に蒲田区からTc283、M370、M’526、T346、Tc284とTc709、M637、M’793、T220、Tc702の5両編成2本が転入して91年3月まで使用され、その後クハ103−283・284、モハ103−370、モハ102−526の4両は豊田区[青梅・五日市線用クハ103への自動解結装置の取り付けと車両更新工事の予備車確保用と武蔵野線8両編成化増結用]へ・クハ103−702・709、サハ103−346の3両は習志野区[仙石線へ転出するクハ103−123・124の補充用と営団地下鉄東西線直通電車全10両編成化に伴う総武・中央緩行線の運用変更用]へそれぞれ転出、モハ103−637、モハ102−793、サハ103−220の3両は松戸区に残留してそれぞれ他の編成に組み込まれています。以上、本日も長文、駄文失礼しました。 投稿日 2006年12月06日(水) 15時08分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp(修)(修)]
こんばんは。件名の編成は昭和61年11月〜12月にに大井工で塗色変更とATS-S追加され、南武線でデビューとなりました。>>KIHAさん字幕なんですが、これは「川崎」「立川」等の2文字は冷房車と同じフォント、「稲城長沼」「府中本町」の4文字は101系と同じフォントでコマ順は101系と同じ手動式のビニール幕でした。文字順序表には書いてありませんでしたが、「尻手⇔浜川崎」も入っておりました。昭和63年2月に松戸区へ転属。翌年の再転属の際にサハ103-774を脱車、浦和のサハ103-181が転入しました。転属の際に冷改と更新工事を受けますが、以下の様になっています。McM'MM'Tc':3月〜5月中旬に富士重工で冷改。出場後、McM'Tc'は郡山へ、MM'は土崎へ回送。 更新工事を施工されています。ただ塗色変更をどの段階で行われたかは・・・・?です。T:4月に非冷房のまま土崎へ回送。更新+冷改+塗色変更されています。郡山のMcM'Tc'、土崎のMM'Tを大井で組成し中原区へ入線となっています。 投稿日 2006年12月05日(火) 22時45分 投稿者 ほりぽん [ZJ041195.ppp.dion.ne.jp]
KIHAさん、みなさん、こんばんは。御指摘の6輌は、昭和61年11月改正の南武線輸送力増強用として転入してきたものです。前面ですが、手動字幕のままだったのではないでしょうか。松戸区への転出ですが、山手線への205系投入で捻出された総武線のl0l系が置き換えられましたが、まだ車齢の若い車輌もあり、これを南武線に転用し、さらに御指摘の6輌を松戸区に転用させて、冷房改造などが続く同区の車輌の予備車としたものです。l03系の場合、非冷房のまま車両更新工事を終えた車輌はありません。非冷房だった車輌は必ず冷房改造工事(AU712)を併せて行なっています。御指摘の5輌(サハを除く)の場合、冷房改造工事を終えてから車両更新工事を行なったようです。この場合、天井部分の化粧板が、模様入りのものかクリーム色の塗装か、あるいは、扇風機の上部に付く通風シャッター部の形状が、丸みのある化粧板か、シャッター自体が皿状かで、判別できます。(AU712搭載車の場合) 投稿日 2006年12月05日(火) 22時38分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
確か昭和61年ごろだったかと思われます。オール冷房車の103系ばっかりだった南武線に非冷房編成が転属してきました。編成はMC116/M253/T774/M226/M381/TC587で、たしか先頭車の方向幕は冷房改造車と同じ自動式となっており、異彩を放っていましたが数年で松戸に転属しました。それから再び再転属して更新車となり、AU712搭載の冷房車となりました。このときはT774ではなく、T181だったかと思いますが一般のTが転属してきました。松戸に転属した目的と再転入後に冷房改造されたようなのですが冷房改造と更新は同時だったのか気になります。そういえば房総の113系初期型も非冷房車の更新車がありましたので見たことはなかったのですが103系でも更新車の非冷房車というのはあったのでしょうか。 投稿日 2006年12月05日(火) 21時02分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]
KIHAさん、みなさん、こんばんは。お書きになられた6輌のクハは、冷房改造を済ませてから豊田区に転入してきています。品川区の予備車も少なく、予め全車に冷房改造を施す余裕も無かったので、やむを得なかったと思います。また、冷房改造後に山手線で使用したこともありません。クハl03-l03・l04のみ、黄色化後も山手線で一時使用されています。京浜東北線にいたl0l系のサハは古い車輌が多かったので、750台に改造された車輌は存在しません。三鷹の5輌の750台について簡単に説明します。766・767については、昭和50年の南武線新性能化で京浜東北線のl0l系20輌を南武線に転用した時に余った2輌を改造(但し改造されたのは中央・総武線のサハl0l)した分に相当し、その分、中央西線新性能化の際の新造車を2輌抑制しています。本来なら京浜東北線に投入されるべき750台ですが、ATC化でl0l系が撤退予定の京浜東北線に入れると異端車となってしまうため、三鷹区への投入となっています。759〜76lは、小金線(武蔵野線新松戸−西船橋)開業分として京浜東北線のl0l系30輌を転用する際、やはり余剰となるT×3を転用し、その分l03系の新造車輌数を抑制させたものです。改造種車はサハl0lのラスト3輌で、やはり中央総武線用だったものです。こちらは改造後は浦和区に配置され、759は先の766・767の代替分として中央西線新性能化用の車輌を転出した蒲田区にも一時所属しましたが、やはり京浜東北線に残すと異端車になってしまうので、昭和53年の南武線新性能化の際に、全車三鷹区に転属となりました。 投稿日 2006年12月04日(月) 21時38分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
前納様・長年のなぞが氷解できました。有難うございました。確か同様の山手線あたりからの転入先頭車はそれ以外にも101・102・107・112・142・143があったはずですがこれらの先頭車は冷房改造を済ませて転属してきたのかそれとも非冷房のままだったのでしょうか。特に142は客扉に小窓のついた板を運転台側1箇所のみでしたがはめ込んでありました。この板にはたしか下に赤く文字がありました。いったい何の目的ではめていたのでしょうか。そういえばサハ103−750番台がミツ・トタ両方所属していましたが、ミツの方は京浜東北線の101系が在籍していたのでそれが種車として改造されて一緒に転属してきたのでしょうか。それと話が変わりますが、先日2日は三鷹でE233系T1編成。高円寺では緩行線内でH44編成6両の試運転を目撃しました。いずれも2時半ごろでした。一方の201系のT102編成は今日目撃しましたがまだT4などはそのままでした。 投稿日 2006年12月04日(月) 20時21分 投稿者 KIHA [KHP059134057015.ppp-bb.dion.ne.jp]
Y.a様、三都路快速様、林様、スコッチ様、皆様・こんにちは。遅番の出勤前に書き込みします。・Y.a様、三都路快速様阪和線内で103系の快速電車が113系の普通電車を追い抜くダイヤは86年11月の国鉄最後のダイヤ改正で早朝に設定されていたようです。列車番号や追い抜く駅など詳しいことは書かれていませんでしたが、当時の「鉄道ジャーナル」誌の阪和線に関する特集記事の中にそういう記述があったと記憶しています。また、これは池袋と赤羽の2地点間での事例で直接の追い抜きではありませんが同区間で田端操経由で運転される湘南新宿ラインが板橋・十条経由で運転される埼京線に追い抜かれる場合がラッシュ時を中心に存在します。湘南新宿ライン 1120Y 赤羽7:47ー池袋7:59ー新宿8:04埼京線 728K 7:48− 7:56ー 8:02湘南新宿ライン 1620E 新宿8:16−池袋8:22ー赤羽8:34埼京線 719K 8:19− 8:24− 8:32現在の平日ダイヤでの事例を上り・下り各一つずつ上に示しましたが、このことから88年3月の東北・高崎線の池袋乗り入れ開始時点より埼京線の103系が東北・高崎線の115系・211系を同区間で追い抜いていた事例が存在していたものと思われます。・林様、スコッチ様今回も細かい指摘で大変恐縮ですが、モハ103−792・793、モハ102−2049・2050の4両は97年10月のダイヤ改正ではなく、前年の96年12月のダイヤ改正に伴い浦和区から豊田区へ転入しています。このダイヤ改正では五日市線の朝の4両編成2本の6両編成化、武蔵野線完全8両編成化に伴う青梅・五日市線との運用分離による6両編成の予備車の確保、埼京線増発に伴う201系の三鷹区への転出などで浦和区より豊田区へ103系が上記を含めて18両[6両編成2本とモハユニット3組]転入して捻出した201系14両[6両編成2本とクハ2両]を10両編成と4両編成各1本に組み換えて10両編成は三鷹区の205系と差し替えて川越区へ転用、4両編成は武蔵小金井区へ転出して豊田区103系4両編成の運用1本を移管の上充当して、捻出されたこの1本を含む4両編成3本が6両編成化されています。なお、97年10月のダイヤ改正で青梅線増結用として浦和区から豊田区へ転入したモハ103・102は以下の8両です。モハ103−279・590・591・625、モハ102−434・746・747・781以上、失礼しました。 投稿日 2006年12月04日(月) 14時15分 投稿者 三河安城 [gk016.leo-net.jp(修)]
林さん、前納さん、みなさんこんにちは。前納さん、林さん詳しい車番、編成などをご教授ありがとうございます。早速、インレタで10連を再現してみます(笑)古い編成を知りたくてもなかなか資料がないのでまたよろしくお願いします。 投稿日 2006年12月04日(月) 13時56分 投稿者 スコッチ [p1014-ipad05kyoto.kyoto.ocn.ne.jp]
こんにちは。広島地区の輸送力増強の話が出ましたが、1つ案を出すと「海田市〜広島」の貨物線の活用ですね。JR貨物とのかねあいがありますが、通勤快速などのこの区間を通過する列車を貨物線に移して、実質的に複々線運用をする事で呉線と山陽線それぞれ増発余力を作るというものです。と、言っても綱渡り的ダイヤにもなりかねませんから実現は難しいかも知れませんが・・・・せっぱつまったら、こういう方法もあると言うことで(^^)わたし的には可部線の105系のうち103系1000番台から改造されてる分を置き換えるために103系を2〜3本増備して瀬野−広島−可部で増発などしてもらえたらおもしろいなと思うのですが、横川駅が平面クロスしてますしねぇ。 投稿日 2006年12月04日(月) 11時00分 投稿者 永尾信幸 [p1250-ipad413osakakita.osaka.ocn.ne.jp]
スコッチさん、みなさん、こんにちは。昭和54年までの、クハl03-3ll〜3l6が組み込まれた編成を記しておきます。 Tc M M’ T M M’ T M M’ Tc’3ll 340 496 753 34l 497 754 342 498 3l23l3 343 499 330 344 500 33l 345 50l 3l43l5 367 523 344 368 524 345 369 525 3l6なお、上記編成の新製当時のクハの番号は、2l9、220、22l、222、237、238になります。 投稿日 2006年12月04日(月) 10時22分 投稿者 前納浩一 [i125-203-103-26.s04.a013.ap.plala.or.jp]
先程の投稿…クモヤとクハ103‐15〜4Bを27日午後,大阪から京都に向かう新快速の車内から確認しました。場所は吹田工場の本線脇の留置線です。時間は14時30分過ぎだったと思います。失礼しました。 投稿日 2006年12月04日(月) 08時06分 投稿者 のっぽ [mobile48.search.tnz.yahoo.co.jp]
みなさんこんばんは。先週の11月26〜27日で京都と大阪に行きましたが…三河安城さんが書き込まれた記事にあるクモヤとクハ103‐15〜4Bを27日午後,大阪から京都に向かう新快速の車内から確認しました。あのまま廃車なのかなと思っていたらまだ訓練に使われていたんですね。 投稿日 2006年12月04日(月) 03時11分 投稿者 のっぽ [mobile48.search.tnz.yahoo.co.jp]